I LOVE モーツァルト

I LOVE モーツァルト  石田衣良  幻冬舎Imge8298fe1zikazj


去年はモーツァルト生誕250周年だったので、いろいろなイベントがあり、いろいろな本も出版された。
その中で、作家の石田さんが書いたモーツァルトの本を読んだ。

石田さんのクラシック音楽との出会いがグレン・グールドのバッハの「ゴールドベルク変奏曲」というのは、納得できるし、共感できるね、
なにしろ当時というより、今もあの演奏、55年盤、83年盤とも衝撃的な演奏だからね。
これは、まだ聴いたことのない人は聴くべきかも

石田さんのモーツァルトの演奏について愛聴しているCDについて書いているところが、やはり面白いね。
自分も好きな演奏があったり、知らなくて聴いてみたいと思ったりする演奏があったりと、
付録についているCDも嬉しいね

その中で、交響曲第40番ト短調のところで、小林秀雄の「モーツァルト」の中の有名な「疾走するかなしみ」という言葉が使われていると述べているけど、これは間違いで、小林秀雄はト短調の五重奏曲についてこのフレーズを使っている。
これは、モーツァルト好きの中では、常識的なことだと思うけどなあ

石田さんの好きなモーツァルトと、自分の好きなモーツァルトの好きなセレクトが違っているのは楽しいね。

ピアノ協奏曲なら、石田さんは20番だけど、自分は21番、弦楽四重奏曲は石田さんは「不協和音」、自分は「狩り」。オペラなら石田さんは「魔笛」、自分は「フィガロの結婚」

演奏者のセレクトも、20番のピアノ協奏曲を石田さんは、イタリアの伝説的なピアニストのミケランジェリを愛聴していて、その第2楽章を十代のモニカ・ベルッチが、すごくセクシーで清楚なドレスで階段を下りてくるようなと表現している。
個人的には、ミケランジェリは偉大なピアニストだが、その奏でるものは、そんな綺麗で美しいと言うだけの人ではないと思うのだ。そのベルッチはきっと妖精の仮面を被ったお化けという気がしたりするんよね。

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スコット・ロスのゴルドベルク変奏曲を買った

宮崎に行ったついでにCD屋に行ったら、スコット・ロスのゴルドベルク変奏曲を売っていたので、買った。そして早速聴いてみた。

チェンバロによる演奏だ。
夭折したけど、大家と呼ばれたロスの知る人ぞ知る名盤だね。

ピアノととは違い、チェンバロで演奏している方が、華やかな感じがするね。

このバッハのゴルドベルク変奏曲は、グレン・グールドの演奏で有名。
1955年と1981年との録音は、クラシック史上というより社会的な事件になるくらい有名で、グールドのカリスマ性は未だに健在。
偶に映画を作られたり、関連本が無数に出ている。
最近でもBSでグールドがソ連に行った演奏旅行がドキュメンタリーとして放送していた。

1955年に何でグールドは、このバッハの当時はそんなに知られていなかった曲を録音したのか。そしてまた1981年になって録音し、それは最初のときのものと随分違ったような録音をした。
1981年以降数年のNHKFMはこのグールドのこのCDをよく放送していた。

自分はこの演奏を聴いてクラシック音楽が好きになった。
何か分からないけど、何度きいても飽きさせない何かかあった。
以来20数年まだ聴き続けているし、まだ聴いていて楽しい。

チェンバロでのこのスコット・ロスの演奏は、同じゴルドベルク変奏曲といってもかなり違ったものだけど、楽しい演奏だね。
古楽でに演奏は、戦前はピアノに近いものに改造したものだったらしいけど、現代では昔の姿に近いもので演奏するみたい、そしてこの古楽の方がテクニカルになっているように思うし、華やかな音を奏でるようになるね、
こういうのは、オーケストラでも少人数での古楽演奏のほうが、華やかなのと一致するのかもね。

コンピューターでネットを使えるようになって、いろいろな演奏のCDを買えるようになったのは嬉しいね。
この前外国盤でのE.Dershavinaさんのゴルドベルク変奏曲も良かった。
この全然知らないロシアの若い女の人の演奏は良かった
嬉しい驚きだ。

これからも、よく分からない人のゴルドベルク変奏曲を買っていこうと思っている

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私のこだわり人物伝「モーツァルト」について

NHK教育で放送した私のこだわり人物伝「モーツァルト」は、面白い番組だったね
ナビゲーターの落語家の桂小米朝さんサイコー
モーツァルトの姿を4回に渡って放送していたけど、かなりいい感じで、実像を捉えていたのではないかな
最後に、小米朝さんが言っていた言葉
「無駄の多い人生と無駄のない音楽」というのは、言い得て妙だね。
小米朝さんのセンスもいいね。
それは、モーツァルトの音楽20選で一番に選んだのが、
オペラ「コジファン・ツゥッテ」というのに表れているね
自分は、このオペラよく知らないが、これをきっかけに聴いてみようと思ったものね。

私のこだわり人物伝は、ナビゲーターにより、かなり出来に差がでるみたいだね。
酷い放送もあったけど、今回のモーツァルトの回は良かったね。

モーツァルトは、NHKの「毎日モーツァルト」という番組も、山本耕史さんの柔らかい声もあって、気持ちいいものになっているし、モーツァルト好きには、嬉しいことだし、これをきっかけにモーツァルト好きが増えればいいよね

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NHKBSでハイフェッツを見た

BSでヤッシャ・ハイフェッツの演奏をしていた。
それもメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。
1949年の録画らしい。
これは、貴重なものを見せて頂いた。

ハイフェッツは昔から、高名だったけど、日本での人気はそれほどない、演奏者だね、
しかし、不世出の演奏者に違いないのは、明か。
技術的すぎる。冷たい演奏だ 思想性がない。
というのが、日本で評価する人が多いのだけど

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲はそんなものは、余り無関係な曲なので、
ハイフェッツの良いところが、ダイレクトに伝わる感じだね
決していい録音状況、貧弱なバックのオーケストラがあっても、圧倒される気がした。
ヴァイオリンの質感が凄いのだ。後ろの二十人か三十人かの音より、大きいし、正確無比な演奏は、ど肝を抜かれるね
いいものを見せてもらった

そうそう、ハイフェッツが使っているストラディバリウスの「ドルフィン」というヴァイオリンは、今諏訪内晶子さんが使っているらしい。これも感慨深いことだね。

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100円ショップでホロヴィッツを買った

ダイソーの百円ショップに行く機会があって、ぶらぶら店内を歩いていたら、CDコーナーがあってそこにクラシック音楽も売っていた。

何気なく覗いて見てみると、ホロヴィッツも売っているではないか

ラフマニノフのピアノ協奏曲の第3番、買って聴いてみた。

録音が悪いような気もするけど、なんせ古い録音なのでこんなものかとも思ったりして

こんなものを、100円で売っていいのかな。個人的には嬉しいけど

2番が有名だけど、3番はよりテクニカルな曲だね。それにしても派手な曲だ。

車に乗りながら聴いていたら、気が付くと、速度が40キロくらいになっていた。田舎の一本道でこのスピードじゃ迷惑だね。案の定後ろに2.3台車がいた。

まあ、人口が少ないところなんだから許してねと思ったりした

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モーツァルトの人気投票について

春のモーツァルト祭りでモーツァルトの曲の人気投票していたね。

一位は、アイネクライネナハトマジーク。

一番通俗的な曲がやはり人気があるみたいだね。

他、トルコ行進曲、きらら星も人気あったしね。

まあ仕方がないね。

自分が好きなモーツァルトの曲はというと、一杯有りすぎて選べないくらいだけど、ピアノ協奏曲の21番か、弦楽四重奏曲の「狩り」とかフィガロの結婚かな

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クラシックCD名盤バトル

46bb8d1128e8249b クラシックCD名盤バトル 許光俊VS鈴木淳史 洋泉社新書

久しぶりのクラシック記事だけど、この本に対しては否定的意見を述べなければならないなあ。

この両執筆者は、クラシック批評のニューウェーブで、少なからず影響があると思うので、それに対し自分の意見も書いておきます。

まず、この本で取り上げられる曲が、交響曲が多すぎるのは気になるね。それと、モーツァルトのオペラ、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲、シューベルトの歌曲などが、外されているのは、頂けないね。

個別にも、ベートーヴェンのピアノ協奏曲が1番と4番を取り上げられ、5番「皇帝」が外されているのは、疑問だね。他にも色々疑問があるけど、ここでは長くなるので不問にしておこう。

ええーと、一番言いたいのは、取り上げられた曲に対する、演奏者のセレクトがおかしいのではないかということだ。

こんな本を買おうという人は、初心者、それに毛が生えたくらいの人たちだろうけど、そんな人たちに変化球といっていい演奏者のセレクトが多いのは問題だ。以前取り上げた高嶋さんの本ではその点を踏まえて、自分の好みばかりを優先せず、親切なセレクトをしていたね。それなのにこの両者は、意外性を狙う余り、変な選択の比率が多すぎる。こんなもんばかり聴いていたら、クラシック嫌いになるかも知れないよね。

個別のセレクトを見ていくと、自分もこんなに莫大な曲の多様の演奏者の演奏は知れないので、知っている得意の曲で見てみると

まず、バッハの「ゴールドベルク変奏曲」チェンバロでの演奏が鈴木秀美、ピアノの演奏がギレリス、ここでは、誰もがグールドが外される理由が分からないねというだろうね。ゴールドベルク変奏曲フリークは凄く詳しい人が多いし、そんな人たちでもグールドを外すことはないと思うね。チェンバロの演奏でも、この分野が、この20年でとんでもなく進歩しているのも知らないみたいだね。

ショパン「スケルツォ」、ショパンはこのスケルツォしか取り上げられていないのも疑問だけど、演奏者にポゴレリチ、ジョン・コウリの2者を取り上げているね。ジョン・コウリは不勉強で知らないけど、

ここで、一番言いたいことは、何故ホロヴィッツが外されているのだということだ。好き嫌いは別として、ショパンで外したらいけない名前ではないか、ポゴレリチのショパンコンクールでの事件を暗に仄めかしているのだろうけど、あんなもの邪道だろ。(今から20数年前ショパンコンクール予選でポゴレリチはジャズ風にアレンジしてショパンを弾いて落選、審査員たちの意見も紛糾した大事件)、今はもちろんポゴレリチああではないし、大ピアニストになっているけど、ホロヴィッツと較べるくらいのピアニストではないのではないかな

モーツァルト「ピアノ協奏曲第20番」ここでは、ピリスとジャズピアニストのキース・ジャレットが取り上げられているね。ピリスは問題ないと思う、この変は好みで判断しても良いと思うけど、キース・ジャレットはないだろう。自分もこの演奏聴いたことあるけど、どうってことないものだったしね。ジャズの「ケルンコンサート」みたいに,自由に弾かしたら、限りなく魅力的な演奏をするキース・ジャレットも、決められた楽譜を演奏したのでは、いいところがあまり出ないような気がするね。これは、超変化球、初心者には全く向いていない。

ここで脱線するけど、クラシック演奏者が、ジャズを弾くと面白いものが多いと個人的には思うね。フリードリッヒ・グルダが自分で勝手に作曲したジャズの曲の演奏聴いたことあるけど、個人的には無茶苦茶面白かった。ただし、このジャズを弾くグルダは、専門家には評価されてないけど

本題に戻るけど、個別の選択でこんなにイレギュラーなものが多いのは問題じゃないかな。面白ければいいというものではないと思うけどね。

最後に、日本人の書いたクラシックの名曲セレクトに、世界的に評価されている武満徹を取り上げていないのも問題だろうね。

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凄いぞスルツカヤ

根性で起きていた価値があったぞ。凄いぞスルツカヤ

バックの曲が死の舞踏だって。

これは確かにリストの「死の舞踏」だった。

日本人には馴染みがない曲だけど、西洋人にとってこの旋律は有名なのだ。

なぜなら、この死の舞踏はグレゴリオ聖歌「怒りの日」の旋律を使っているからだ。

この「怒りの日」は繰り返し西洋人の作曲家によって取り入れられている重要な旋律なのだ。

ベルリオーズの「幻想交響曲」、20世紀作曲家ダラビッコラ「囚われ人の歌」そしてリストの「死の舞踏」などなど

こんな最後の審判を奏でる音楽で踊るなんて……………………絶句だね。

荒川さんも素晴らしいぞ。でも満足したのでもう寝ます。

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サントリーの伝説のCMの中の音楽について

今日もテレビ見ながら書いています。女子カーリングの小野寺選手のスーパーショットを生で見てしまった。このオリンピックでもしかしたら日本人選手の一番のシーンかも。ただ、いまいち何が凄いのかよく分からなかったけど。

えーと本題ですね。自分が考えるサントリーの昭和50年代の名CMは3つあって、一つは、雨の中を子犬が街を走り抜けるCM、ダバダバダバダという音楽とともに物凄い有名。30代以上ならほとんどの人が、ああ、あのCMねと分かるくらいにね。

もう一つは松田聖子が歌っているバックミュージックを背景に、、アニメのペンギンが出てくるCM。何しろ松田聖子の人気は凄かったから、これも一世風靡したね。

最後は、今日語りたいもので、砂漠を旅するフランスの象徴詩人アルチュール・ランボーのCM。これは、上の2つに較べ、知る人ぞ知るCMで、ハイセンスだったね。

サーカスの道化とともにランボーが歩いているだけなんだけど、バックにかかっていた音楽が独創的。グスタフ・マーラーの声楽付き交響曲「大地の歌」の中の第三楽章「青春について」を使っていたから。当時まだ、マーラーは一般的じゃなかったけど、この曲をきっかけにか、ひそかなブームになった。

この「大地の歌」は中国の李白などの詩を脚色して声楽をつけた交響曲 なんだけど、これが、西洋人のけったいなオリエント趣味の、はなはだグロテスクな曲になっている。でもこれが、もの凄く面白い。

第一楽章「大地の悲しみに寄せる酒の歌」(李白の詩が原作)

第二楽章「秋の寂しさ」(原作は分からない)

第三楽章「青春について」(李白の詩が原作)

第四楽章「美について」(李白の詩が原作)

第五楽章「春に酔える者」(李白の詩が原作)

第六楽章「告別」(王維の詩が原作)

この楽章と題名を書いただけでも、面白そうでしょ。奇数がテノール(男性高音)、偶数(女性低音)の独唱になっている。

李白の詩をもとに書かれているものが多いので、酒ばかり飲んでいる曲が多いね。CMで使われたのはこの交響曲の中でも陽気な曲だったね。酒を楽しく飲もうということかな。まあ洋酒会社のCMなんだからこれは普通かな。

自分がつっこみを入れたいのは、第四楽章と第六楽章、

第四の曲想は、池のほとりに乙女たちが花を摘んでいる最中、近くを見目麗しい貴公子が通りすぎていくシーンとのことらしいのですが、

貴公子が通り過ぎ去る場面にかかる音楽が、チンドン屋みたいに登場して、これがくどいのだ。これが憧れを表現する音楽なのかな?可笑しい感性だな。

そして最後の第六楽章の告別、これは王維の詩で、高校の漢文でも習うくらい有名な詩を脚色したもので、この交響曲の長さは60分くらいのうち30分くらいがこの楽章にかけられている。

王維の短い詩をえんえんと演奏する。曲想は故郷に隠棲しようとする友達との別れを曲にしている。

日本人なら別れる時は、やあそれではと軽やかに別れるのだけど、またこの王維の詩もさらっとしたものなんだけど、このマーラーの曲はくどいのだ。とことん友との別離の哀切さを歌い上げる。これはまた秀逸なんだけど。

最後になるにつけ、エーリッヒ、エーリッヒ、日本語訳で永遠を連呼する。序序に言葉が小さくなっていくのだけど。何回も連呼すれば、日本人としては有情とうものが浮かぶとは思えないのだけど、西洋人はゴリ押しするんだね。で何か分からない味わいをだしてしまうから面白いね。でも、全体的に見れば中国的になっているのだね。ここは特筆すべきだね。

ランボーとマーラーの不思議な出会い。このCMは東洋でも西洋でもないけど、東洋でも西洋でもあるものを上手く出していたね。

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曲目変更?

最近オリンピックのことばかり書いているなあ。今回もオリンピックネタ。フィギュアスケートの荒川さん、安藤さんが曲目変更したことについて、また少し考えることがあるので、

イタリアの作曲家のプッチーニの曲に変更した方がいい点数が出るだろうということでの変更らしいけど、こんなこと失礼だけど、イタリアでのオリンピックはもう何年前から決まっているのだから、直前に変更というの、やはりぶれがあるのだろうね。

荒川さんの「トゥーランドット」は中国が舞台のオペラ、安藤さんの「蝶々夫人」は日本が舞台、訳の分からない西洋人のオリエンタル趣味の曲で、べたべたのメロドラマ、まあ面白く演じることができれば高得点取れると思うけど、難曲ちゃうのかな。特にまだ若い安藤さんが踊るのは難しいのでは、曲もゆったりだし、ジャンプが得意な安藤さんには乗りづらいと思うけど、もっとリズム感のあるティーンが踊りやすい曲の方が点数がでると思うけど、

自分みたいな素人でも普通に考えれば、このような結論が出るのに、相変わらずマスコミは、イタリアの曲だから絶対いいとかの持ち上げばかり、まだ始まる前にネガティブな意見は出しにくいのだろうけど、冷静に判断するのも必要では

荒川さんはベテランだし、この変更はいいのじゃないかな、

 

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モーツァルトその2

ふふふ、ついに9回目の更新だ。新記録だ。ちょっと狡したみたいだけど。

今回は、さっきの続きを

誰にも自分の眼を通してしか人生を見やしない。自分をいっぺんも疑ったり侮蔑したりした事のない人に、どうして人生を疑ったり侮蔑したりする事が出来ただろうか

名文だなあ。

彼の歌劇は器楽的である。更に言えば、彼の音楽は、声帯による振動も木管による振動も、等価と感ずるところで発想されている。彼の室内楽でヴァイオリンとヴィオラとが対話する様に、「フィガロ」のスザンナが演技しない時には、ヴァイオリンが代わりに歌うのである。

二十数年前、NHKFMの伝説の名番組に「モーツァルト愛とその生涯」というのがあった。吉田秀和さんが解説して、モーツァルトの全作品を日曜日に週一回朝9時から一時間その生涯を辿りながら放送していた。吉田さんの素晴らしい解説、その曲、曲に演奏家をセレクトするセンスの素晴らしさは、筆舌に尽くせないくらいだった。この放送のエンディングに使われていたのが、「フィガロの結婚」の第3幕への間奏曲、歌のパートがいつの間にか、弦楽だけになっており、その部分を使っていた。これは、もちろん小林秀雄が言っているまさしくその場面を。

ここを、オペラの場面を通して見るとよく分かるけど、すごく楽しいけど、どこか寂しげな曲想を感じさせるこの曲が流れるなかで、舞台では、あわただしくセットが代わっていく。そう走馬燈のように、それが人生であるかのように、自分はこの「フィガロの結婚」のこの場面にさしかかると、いつも甘酸っぱい気持ちになるねえ。この甘酸っぱい感じは恋する感じに近いかな、ただ甘いだけでなく、どこか酸っぱいあの感じ。…………………いゃ~~んおっちゃんなのに恥ずかしいなんということ言うんだ。ごめんなさい

非凡さは際だっているね。いろんな作曲家はいるけどモーツァルトは特別だね。

吉田秀和さんの番組はその後ベートーベン、シューベルト、ブラームスと続き、クラシックファンの拡大に多大の貢献したね。

・モーツァルトは、歩き方の達人であった。現代の芸術家には、殆ど信じられない位の達人であった。これは、彼の天賦と結んだ深刻な音楽的教養の贈物だったのであるが、彼の教養とは、又、現代人には甚だ理解し難い意味を持っていた

ここも名文、なんで歩き方なんだ、これはどういうことだ。

何故、死は最上の友なのか。死が一切の終わりである生を抜け出て、彼は、死が生を照らし出すもう一つの世界からものを言う。ここで語っているのは、もはやモーツァルトという人間ではなく、寧ろ音楽という霊ではあるまいか

僕等の人生は過ぎて行く。だが、何に対し過ぎて行くと言うのか。過ぎて行く者に、過ぎて行く者が見えようか。生は、果たして生を知るであろうか。恐らくモーツァルトは正しい。彼の言う方が正しい。しかし、彼が神である理由が何処にあろう。やがて、音楽の霊は、彼を食い殺すだろう。明らかな事である

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モーツァルト

モーツァルト・無常という事  小林秀雄  新潮文庫

今年はモーツァルト生誕250周年ということで、いろいろ特集やっているみたいだね。及ばずながら自分も少し何か書いてみたいと思います。小林秀雄のモーツァルトから文章を抜き出し、感想を書きたいと思います。ただし、自分は音楽とは無縁の人間なので、間違っているところは多々あるかも知れないので、その点は勘弁を

小林秀雄の本は音楽評論というよりは、筒井康隆の「文学部唯野教授」にも述べているとおり、独自の印象批評で、モーツァルトの姿を借りて好きなことを勝手に述べるという秀雄ワールドというしかないものです。ただし、この鋭さは世の専門家真っ青のもの、なんしろ今からもう50年くらい前のものでも、日本の音楽評論でモーツァルトの真 の姿に肉薄したことがあるのだろうかというものです。

美は人を沈黙させるとはよく言はれる事だが、この事を徹底して考えている人は、意外にすくない。

う、う、う、格好いいぞ、

制約も障害もない処で、精神はどうしてその力を試す機会を掴むのか。何処にも困難がなければ、当然進んで困難を発明する必要を覚えるだろう。それが凡才には適わぬ。抵抗物のないところに創造という行為はない。これが、芸術に於ける形式の必然性の意味である。

モーツァルトには、ハイドンから頼まれて作った6曲の弦楽四重奉曲のことをいっているんんだけど、ここではじめてモーツァルトは作る苦しみを知ると。このハイドンセットの最初の曲ケッヘル(Kで普通略字される。)387、第14番ト長調はモーツァルトにとって特別な曲だね。これも聴いたら分かる。このセットの中には「狩り」「不協和音」など有名な曲があり、全て傑作、続けて聴くと一番てっとっり早いモーツァルト入門になるのでは

映画「アマデウス」の中では、サリエリがまだ発表だれていない曲のスコアを見て、無造作に書き直しの無いのを見て、その天才性をみて嫉妬する場面があるけど、モーツァルトといえども人の子、影でしっかり努力していたということだね。

モーツァルトの曲はケッヘルが400番台になると、曲想が深くなっていくのが分かるよ。早熟の天才だったけど、進化もして行ったことが

確かに、モーツァルトのかなしさは疾走する。涙はおいつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」という言葉のようにかなしい。

この「かなしさは疾走する。」というのは、一時もの凄く有名になった言葉で、素晴らしい名文だね。これは小林秀雄がK516弦楽五重奉曲ト短調のアレグロを聴いた感想なんだけど、自分は個人的にはそのように思わなかったけど。ただ、この本がモーツァルトの短調の曲に目をつけたのは鋭い指摘だね

映画「アマデウス」では、最初の導入の曲がK183交響曲第25番ト短調、この曲はモーツァルトの「疾風 怒濤」的表現された激しい曲、そもそもモーツァルトの交響曲は41曲あるけど、短調は2曲だけ、エンディングのピアノ協奏曲第20番ニ短調も27曲ある中の2曲のうちの一つ、短調のモーツァルトは特別な意味があるのね

まだまだこの小林秀雄の本について書くつもりですが、ご飯ができたというので、また後ほど

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ヴァイオリニストの音楽案内

ヴァイオリニストの音楽案内  高嶋ちさ子  PHP新書

ヴァラエティ番組みのも出る高嶋ちさ子さんの本だね、これが素晴らしい、自分にとってはだけどこの10年来新書で偶に出たクラシック音楽のガイドブックの中では最高だ。

過去に出た新書の中では、文春新書から出てた評論家の福田和也さんが誉めていた宇野功芳さんらが出していたのクラシックCD名盤を紹介した本は、曲が莫大なのと演奏家が昔の人が多すぎて余り聞きたいとおもわせないもだった。

集英社新書の宮城谷昌光さんは古代中国を題材にした小説家でクラシック音楽好きらしいが、この新書は自分の趣味を出しすぎでマイナーな曲、演奏家ばかり紹介していて、一種のとんでも本に近い内容におもわれた。この本をよんで、宮城谷さんの小説を読むの止めた。

光文社新書の許光俊さんの世界最高のクラシックは、自分のような初心者向けではないように思った。鋭いけど、どこか意地悪い感じがして自分は好きになれなかった。

他にもいろいろあったが、自分にとっては、ちょっと古いけど吉田秀和さんに優れると思うものはなかった。

この高嶋さんの本は、たった50曲それも1曲あたり1人、ひとつの団体しか紹介してないものだが、その選曲は自分にとってはよかった。

世間で言われる名曲をそれなりにちらべめられる一方、ヴァイオリンの名曲が多いのは愛嬌か。チャイコフスキー三大バレエ曲なんか紹介しているのもいいねえ。ロッシーニ、ワグナーの序曲集も入れているのもいい、自分の好きなプロコフィエフの古典交響曲が入っているのも嬉しいねえ。ベートーベンの英雄交響曲、これのだめカンタービレでもSオケで取り上げられていたね。この演奏者の紹介をカラヤンにしているところなんていいなあ。カラヤンのベートーベンなんて一番唾棄すべきものと嫌っているクラシックファンは多いのにねえ。でも、英雄はオーケストラの音色が大切なのだから、オーケストラを超絶に操るカラヤンはいい選択だと自分は思うよ。他にもいろいろ31606073 言いたいことが次々に出てきたりする楽しい本だね。エピーソードも面白いしね

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歌劇トゥーランドット

トゥーランドットと言えば、有名な中華料理屋の名前ではありません。プッチーニのオペラです。これは自分が中学生のとき、何気にラジオをつけると、オペラアワーという番組で全曲流れていたのを聴いて、初めてクラシック音楽の面白さが分かった曲です。なんでこれが面白いのかについて書いてみたいと思います。

話は、美貌だが我が儘なトゥーランドット姫が、3つの謎を解けば、求婚に応じるという布告をだす。姫の美貌に憧れる隣国の王子たちは、この布告に応じるが謎が解けず首を刎ねられる。

 国をおわれ旅をする盲目の老人ダッタン王ティムールとその奴隷だった若い娘リュー、その両者を道端で助けたこれまた何故か旅するティムールの息子カラフ、ここで両者が親子再会を果たす。3人は謎を解けなかった王子の首切り場で、トゥーランドット姫を見る。その美しさに魅了されたカラフは父親、リューの反対にもかかわらず姫に求婚しようとする。

カラフは3つの謎を次々に解いてしまう。皇帝は喜んだが、姫はなんとか結婚を避けようとする。その態度を見たカラフは、逆に明日の朝まで自分の名を答えれば、結婚を破棄し自分の首を差しだそうと提案する。

宮廷の大臣ピン、ポン、パンの3人はカラフの機嫌をとることで口を割らせようとするができなかった。すると町の人たちがティムールとリューの二人がカラフと一緒にいたと言うので、捕らえて拷問のかけ口を割らせようとする。二人は口を割らず、リューは姫がきっとカラフを愛するようになると暗示して短剣で自殺してしまう。姫はその姿に感銘を受け、すかさずカラフは姫を抱いて口づけをする。カラフは姫が自分のものになったと確信し、自分の名を姫に告げる。

翌日、姫は皇帝にカラフの名が分かったと告げ、みんなの前で発表すると宣言する。息を呑んで人々、青ざめるカラフの前で、姫は「その人の名前は愛です。」と告げる。一同皇帝、二人を讃えるなか閉幕する。

以上、荒唐無稽の話だし、オペラのセットも自分が見たのがそうなのか、1960,70年代のSF映画みたいなもので、どう考えても中国じゃないだろうといもの、それに大臣の名がピン、ポン、パンはないだろう。この大臣たちは幕の合間にたびたび出てくる、まあ狂言回しなんだけど

するとね、もうなんかどうでもいいくらいいい加減だけど、これが面白いのなんの、最後のトゥーランドット姫が愛です。と言う場面なんかこの曲を聴いたという達成感が凄くある。中途半端に日本のことが分かっている蝶々婦人より、この無国籍オペラが面白いよ。、

時代考証はおかしいし、中国らしさがない、というよりも20世紀初めの西洋人は、こういうふうに中国を考えていたのかとも分かる。まあそんなことを越えて訴える力があるんだここには、コメディ、シリアスの訳の分からないバランスがある。細かいことに突っ込みをいれればきりがないけど、おおらかに聴いていると本当に面白い曲なんだなあこれは

なんでこれは面白いかについて書こうと思いましたが、上手く書けませんでしたね、ご免なさい。

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