日本社会の誕生

日本社会の誕生  吉村武彦  岩波ジュニア新書Img7af34ca2t8p53w


中高生向けの日本の歴史について書かれた本を読んだ。
最近の研究成果を盛り込んでいて、自分が学生時代に習ったことから大分進んでいるなあと実感した。
内容も高度なところや興味のないところは適当に読み飛ばして読んでみたけどね。

旧石器時代捏造の「神の手」事件前に書かれた本だけど、その辺の部分は穏当な書き方で、これからの成果を慎重に見守りたいみたいな書き方だったね

自分が習った頃は、米の原産地は、雲南、アッサム地方みたいだったけど、最近では長江中下流域になっているんだね。
こういうところは、もっと知りたいかな

邪馬台国、朝鮮、中国大陸との関わりもバランスの取れた無難な書き方だね


各章興味を持ったら、もう少し詳しい本で調べてみると面白いかもね。

偶にこういう本を読んでみないと、考古学や古代史のニュースのことがよく分からなくなるよね。

日本の隣国は、科学的な研究の積み重ねもせずに、こうあったらいいなあという歴史を押し付けてくるのだから、普通の日本人としても、もっと日本の歴史について知って、理論武装すべきだろうね

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キリストの勝利

キリストの勝利  塩野七生 新潮社31640413_1


ローマ人の物語の第14巻目

まだ読んでなかった14巻を読んでみた。
題名の字義通りの内容だったね。

紀元4世紀も終わりに近づくにつれ、ローマはローマらしさをすっかりなくし、中世の暗黒時代とどこが違うのかというような時世になってしまった。

人々は、自由よりも安全、最低限の生命の保証を求めるようになり、
帝国内部では、権力闘争、硬直化した官僚制の跋扈
帝国外部では、異民族の絶えずの侵入。宿敵ペルシャとの攻防。

こうした中、キリスト教は、ローマの古代の神々を異端として駆逐してしまった。
古代オリンピックも紀元393年に廃止になってしまい
この年が、「ギリシャとローマの文明が公式に終焉した年」と言われているらしい。


こういった内容なので、余り万人向けするものではないね。

でもこの時代には、麒麟児が出現するんだね。

偉大なコンスタンチヌス大帝亡き後。
その子供たちは殺し合いを行い、ユリアヌスは、6才のとき、兄を除く家族を全て
失い、修道院で生活する羽目になる。
でも、時世の変化からか、皇帝に呼び寄せられる(兄は既に皇帝により刑死)
そして、絶望的なガリア(今のフランス)へ副帝として派遣される。
哲学の学徒を目指し、軍事のことを何も知らないこの若者は、ここで無類の才能を発揮する。
鮮やかに、異民族を撃退し、兵士たちに皇帝に推されるような存在になる。
そして、果たして皇帝になってしまうのだ、
ここで、キリスト教を廃止しようとする。この行為によって「背教者」の烙印を捺される。
幼い日から、自分だけを頼りに思索し、結果も残したこの稀有な皇帝は、残念ながら対ペルシャとの戦いで、流れ槍で瀕死の重傷を負いなくなってしまう。

この後、ローマでのキリスト教は、絶大になり、もう止めるものをなくなってしまった。

ローマ帝国の外では、あのフン族も登場し、ローマ帝国の最後は近づいた。
もうこの流れは、必然になった。


この巻では、なんと言ってもユリアヌスだね。
カール・マルクスの唯物論では、下部構造が上部構造を規定するとし、個人の役割を限定的に捉える考え方が、近代には大きな影響を持っているけど、
ここでのただの哲学好きの青年が、成し遂げたことは、そういうものでは説明できないよね。
この人は、ものを真摯に考えるという行為のみで結果を残す仕事を成し遂げ、歴史に足跡を残した。
キリスト教会からは、背教者と呼ばれたが、その生涯は、文学作品にもなったし、
忘れることのできない人物として、永遠に名前が残った。

次巻が、いよいよクライマックスか
塩野先生15年もよく書き続けることができたね。
示唆に富む話ばかりだし、この本も永遠に語り継がれるのだろうね

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ハンニバル戦記

Img9341e4f7mrg557   塩野七生  新潮社

 

塩野先生のローマ人の物語が今年いよいよ完結ですね。15年の長きに渡り、書き続けてきたのは、もう偉業というしかないですね。

それに、面白い。

自分は、13巻まで、「全ての道はローマに通じる」のインフラについて書かれたもの以外は、読んできた。早く14巻も読まなくてはいけいと思っているのですが、なかなか読みにくい時代に突入してしまったのでね。まあ、年内には読みたいと思っています。

「ローマ人の物語」の中で、どの巻が面白いと質問されたなら、多くの人は、ユリウス・カエサルの巻と答えるに違いない。

自分もそう答えるし、何故カエサルが天才なのか?ということを、塩野先生が、微に入り細に入り、キケロの現代まで残った書簡、文集などを使って答えてくれている。

天才の話は、面白い。

カエサルは、女をくどくのも、借金するのも、絵になっているし、若いときのおたずね者としての諸国放浪の話も面白いし、ガリアでの異民族の交流も、宇宙人との遭遇みたいで、どきどきする話になっている

そして、。政治をかく行う。相手をどう取り込み、懐柔するのかも納得させるものがある。

凱旋式に白馬に乗っている中で、「ハゲ」と言われるところも、普段兵士、庶民に愛されている証拠で、ほのぼのさせるものになっているし、クレオパトラとの恋愛も、生涯に花を添えている。

本当にみんなに愛された英雄だと解るね。

歴史家モムゼンが「ローマが生んだ創造的天才」と言ったけれど。それのみならず、人類が生んだ最高の天才かも知れない。

この中でも、最も天才だと感じさせて面白い部分は、軍事的な天才の部分。

ここが、面白いのなんの。この「ローマ人の物語」での一番面白い部分かも知れないね

歴史書だから、カエサルが、なぜそういう戦いができたのかの前史があって、それを踏まえた意味でのカエサルの天才なんだね

その前史が書かれているのが、ローマ人の物語の2巻「ハンニバル戦記」

そこでの内容は、

ローマは、第二次ポエニ戦争で、カルタゴとの戦いで、天才ハンニバルの為に、未曾有の危機に陥った、しかしローマは、国家が一致団結して戦い。最終的には、ローマにも天才スキピオが現れ、勝つことができた。その顛末がこの「ハンニバル戦記」の内容。

ここで、塩野先生は、図を駆使して、戦術について解説してくれている。

その中でも、アメリカの陸軍士官学校でも学習素材になっているカンネーの戦いの場面は、圧巻。手に取るように、人数では少ないはずのハンニバル軍が、数が多いローマ軍を包囲、殲滅していった状況が描かれる。

この場面は、人類の歴史に後世まで語られ研究され続ける事件だね。

凄い臨場感だ。

なんで、ハンニバルが天才だったのかが、この巻を読めば解るね。

下手な解説をしたら、興ざめになるので、興味がある人は読んでね。

軍事的天才のアレクサンダー大王、ハンニバル、スキピオ、カエサル

先人の戦略を巧みに取り入れつつも、それを発展され、兵士を鍛え、采配する。

この戦術、戦略の構想は、天才のみが扱えるものなんだね。天才は、先人のやり方をそのまま踏襲しない。その変え方が絶妙。

キーワードは、騎馬軍。機動力だね。この機動力をどう使うかによって、勝敗が分かれるのだね。

現代では、戦車の使いかた。

カエサルは、ポンペイウスとの戦いで、この絶対必要だった騎馬力が相手より決定的に劣っていたし、兵士の数でも劣勢。

果たして、どうこの劣勢を挽回して、勝利したかは、カエサルの巻を読むか、カエサル自身が書いた「内乱記」を読めば解るし、天才とはかくあるべきものなのか、ということが少し理解できて、面白いね

このブログでは、余りにも面白い謎なので、種明かしはしないでおきます。

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戦国の武将たち

ここの章では、戦国武将について、海音寺先生と桑田先生があれこれ語っているね

「天と地」で、上杉謙信について書いているだけあって、海音寺先生は謙信贔屓みたい。

謙信の生涯は、美しく見事に生きようとするもので、六欲をほしいままにして、見事な人間になろうなんて、そんな虫のよいことはないと述べているのは、面白いね

見事な人は、必ずストイックだ。それは時代も国も関係ないと述べているね

それと、愚将は、優柔不断だ。家柄のいいところに生まれた人間もあまり賢くないと述べているところは、現代にも通じるところかな

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合戦の美学

ここの章で興味深く感じたところは、桑田先生が述べておられたところなんだけど、

戦争というものは、むごたらしいものなんだけど、それを美化するしか仕方がないというように働くと述べられて、それは文化的な工作で、民族の本能ではないかといい、その文化的工作が上手いほど、優れた民族じゃないかと

非常に殺気だったものを、美化しちゃうということ

日本刀も武器なんだけど、美術品にもしちゃうということ

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乱世が生んだ人生観

ここでは、戦国という時代、本当に戦死ばかりで、道徳もなにもない時代だったけど、代用道徳として「カッコよくやる」というのが出てくる

だから、海音寺先生なんかは、戦国のカッコよく生きるというのは、現代の若者の「カッコいい」というのに通じるものがあり、このことは、きっと新しい道徳が生まれてくるに違いないと述べているのは、面白いと思ったね

後、医者といのは、長生きするために存在するのではなく、死に際をよくするために養生するんだという考え方だったのは、興味深い事実だね

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戦国乱世の気風

対談戦国乱世  海音寺潮五郎 桑田忠親  角川文庫

七回分予定のスロー読書をしていきたいと思います。

戦国ものは、男の人に人気ですね。特に司馬さんの戦国ものがよく読まれているね。その評論も面白いものが多いね。だけど、ここは敢えて、海音寺先生。それも対談ものが分かりやすくていいね。この時代は、いろんな人がいろいろ書き過ぎて、返って分からなくなっているからね。基本的なことをあっさり知ったほうが面白いよね

ただ、自分が興味があるところを、勝手に読んでいくので、興味もった人はこの本を買って読んでください

この章では、3点面白く感じた

まず一つ目は、

次ぎの大河ドラマの主人公の風林火山の山本勘助なんかは、重く取り入れられたはずはないと言っていること、由緒正しい家柄で、浪人を重く引き立てると、武田家の結束がはかれないと、一方織田信長の家は、成金だから、そんな制約がなくて自由自在に取り立てることが出来たと

二つめは、

戦国時代の次ぎは、江戸時代という封建時代が来たが、それはよかったのではないかと述べているところ、法律が行きわたらない民主主義の社会なんてありえない。封建時代を経過しない民主主義の社会なんてありえないと

三つめは、

秀吉のエピソードで、信長から竹を切ってくるように言われた秀吉は、百姓に所定より多く切らせ、所定量は信長に納め、後は売って金儲けをした。このような請負制度が、戦国時代には一般的ではないかと述べているところ

殿様に、年いくらか納めたら、後はみんな、ふところにいれてもよかったのではないかということだね

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小説「宮本武蔵」はラブコメではないのか

吉川英治の「宮本武蔵」は、国民的な小説なので、迂闊なことを言うと気分を害する人もいるかも知れないね。そういう人は読まないでね

現在も井上雄彦さんが「バカボンド」というマンガを、この宮本武蔵を元に書いているし、3年前に大河ドラマになったりと、人気はまだまだ健在だね。吉川英治以外も、宮本武蔵についての小説を書いているのだけど、そういったものは、読まれてはいるのだけど、一般的に言及されるのは、この吉川版「宮本武蔵」

この本を自分は、昔面白く読んで、大河ドラマになったことで再読しようとしたとき、そんなに面白く感じなかった。

剣に生きる武道家の話なんだけど、勝手にいつのまにか強くなっているしね。勝負も真剣勝負なんだろうけど、あっさりしているしね

じゃ、なんでこの小説昔、面白く感じたのだろうか。とつらつら考えていると、ヒロインのおつうさんの魅力なんじゃないのかと思ったのだね

男の剣の道があるなら、女にも恋も道もある。というようなことも書いてあったような気がする。

これは、ラブコメなんだ。そういうふうなところを、みんな気にいってみていたんじゃないのかな。

剣について考えたかったら、武蔵の「五輪の書」でも読めばいいのだからね。

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棄都の謎

785年長岡京の造宮長官の藤原種継が暗殺される

ただちに大伴継人、竹良ら容疑者数十人を逮捕、処罰される。あの万葉集を編纂した大伴家持も既に亡くなっていたのに、官位剥奪。

さらに、皇太弟の早良親王も幽閉、淡路島へ配流

これは、長岡造都への反対勢力の行動だった。

早良親王は、無実を訴えて食を断ち、淡路島へ移送される途中に絶命

ここで、本当に早良親王が種継暗殺に関与していたかが、古来言われてきた論点だね

早良親王は、桓武天皇と同じ、高野新笠から生まれた弟だったけど、12歳のとき東大寺に出家しているのだね。光仁天皇即位のときも還俗せず、東大寺を代表する立場にもなり、大きな指導力と発言力を持っていた。そして、桓武即位時、父光仁の希望で皇太弟になった。

桓武は、我が子 安殿親王を後継者にしたいと思っていた。

種継事件時、桓武は平城京へ行幸していた、それも一ヶ月も

大事なときの長期の不在。推測にしか過ぎないけど、匂うなあ

更に、典型的なテクノクラートの佐伯今毛人も官を解かれて、太宰府へ左遷

これは、早良親王と親しい関係にあった今毛人も追っ払われたと考えられるのではないと言われている。

このテクノクラートの左遷により、長岡造都事業が狂いはじめた。

ここの章で、面白いと思ったことは

早良親王の遺跡が淡路島の北淡町にあり、平安遷都後800年に早良親王は「崇道天皇」と天皇号を贈られている

この人は、後に平安京での怨霊の一つになり、陰陽師たりの退治の対象になったし、これは、疫神である牛頭天王とも重ねられ、御霊信仰の対象にもなった。八坂神社は、祇園社とも言われ、祭神の牛頭天王を慰撫する祭りが御霊会。つまり祇園祭りだね。

恐ろしいことに、先の阪神大震災の断層がこの北淡路町から走っているのだね

更に、この長岡京の離宮・東宮跡地に日本電産の本社ビルを建てるということで、あれこれ揉めたね

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歴史シリーズあれこれ

日本の歴史というシリーズは、各出版社が、採算度外視して、出版しているので、力が入ったものだけれど、出来にはでこぼこはあるみたいだね

一番有名なのが、中公出版の日本の歴史シリーズ。

ブックオフに行けば、100円で買えるし、ほとんどの図書館で備え付けているので、簡単に読めるね。石の森章太郎さんのマンガにもなっているので、簡単に(簡単じゃないだろう)日本の歴史が分かるようになっている、大学入試なんて、このマンガ読めば、日本史に関しては、楽勝(楽勝じゃないだろう)やんけなんて思ったりするけれど、

このシリーズは、ちょっと学説が古いので、純粋に楽しみで読もうとする人にとっては、興味を駆り立てられるものではなくなっているみたい。

そこで、今から20年くらい前の小学館の「体系 日本の歴史」が出たときは、話題になったし、新しい書き手が登場もしたし、文庫版も出たので、手に取り安いものになったね。特に、古代史は、新しい発見が盛り込まれていて古代史ファンには、嬉しい内容になっていたかも。

バブルの頃、少年ジャンプが好調だったこともあったのかな、集英社も「日本の歴史」を出した、これはなんとカラーで、図版を豊富に入れた手に取ると豪華で得した気になるような本だね。

そして、最近では、講談社が「日本の歴史」を出したね。これは25巻もある長大な内容だったね、新しい学説も、ばんばん取り入れて意欲的な内容だったけど、出版直後の旧石器時代の「神の手事件」に巻き込まれて、書き直しがあったりと、出版社の意欲が空回りしたのか、世間ではほとんど話題にならなかった、まあ日本の歴史なんて、マニアと高校の日本史の先生しか、まともに読んでいないので、こんなものなのかもね

自分が気に入っているのは、集英社版。絵が入っていて読みやすいもんね。

どのシリーズも書き手の力量にばらつきがあるので、面白いものとつまらないものが混在しているみたいだし、誰でも好きな時代があるので、好きでない時代は面白くは感じないよね

いいと思う本は、新しい学説を取り入れているのはもちろんのこと、分かりやすく説明していて、尚かつ、素人はこの程度だと思って、これぐらい書けばいいなんて感じさせない本がいいね。

それで、勝手にあれこれ読んで、これは当たりだ、これは外れだ、なんて自分は、やっているのだけど、本が膨大にあるので、一生のうちには、全ての良さ悪さを分かることはないのだろうね

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信長って人気があるんだ

昨日、もう一昨日かな

また、ながらでテレビを見ていたら、

日本人の好きな人物アンケートで信長が全体一番になっていたね。

そんなに、この人人気があったんだ。意外に思った。

世間一般では、気の短い人だけど、実は頭のいい、中世から近代への橋渡しをした人のように思われているのかな

2番の坂本竜馬も含めて、小説の影響が大きいのかな。北村弁護士は龍馬好きだったんだ。自分はどっちとかというと伸介さんらと同じで、土方歳三の方が好きかな

世間のイメージとしては、団塊の世代の価値観を後の世代にも持ち込んでいったみたいな順位付けかな。

歴史は自分も好きだけど、この番組は、余り面白いと感じなかったし、世間、特に女の人は余り興味を持たないのではないかな

個別にこの人が好きというのは、一般化は難しいという気がしたね。

まあ信長は自分も好きだから(でも信長、秀吉、家康の中では秀吉が一番好き)、感想を少し、

信長は戦国から新しい時代への架橋の象徴的人物という気がするね。同じようなことをした松永弾正は、時代がちょっとずれたのと、滅んでしまったので、今は山田風太郎さんくらいしか、まともに取り上げてくれない人だけど、信長とよく似ていた人物だった気がする

あの時代、庶民も武士も生き残ることが一番で、相手を倒さなければ必ずやられる、という時代だったんだね。だから、家訓とか、御法度を残したような戦国初期に力を持った武将の家は、戦国末期の最後の淘汰が行われた時代には、滅んでしまったね。

臨機応変に対処できた武将が残り、江戸時代に生き残って家を残すことができたね。

信長は、その対処能力がずば抜けた人だったみたいだね。観念的に考えるより、物事の選択をほとんど間違わなかった。このことが凄いのだね、普通人、平穏な人生を送る凡人は、真似できることではないね

自分は、信長一番人気があったということは、やはり日本人が世界の主役になれるというのは、これからも来ないような気もしたね

ユリウス・カエサルは、ルビコン川を渡るとき、ここを渡れば世界の破滅、渡らざれば我が身の破滅と言って。決断して一気にルビコン川を渡ったんだね。

背負っているものを自覚し、なおかつ悲惨なのは、分かっているのだが、やらねばいけないことは敢然とやる。世論、後世の批判は我が身に全て引き受ける。

世界を引っ張っていく偉人は、好き嫌いは別として、こうあって欲しいけど、日本の信長は、我が身がどう生き抜くかが、念頭の第一という気がするし、そして最後の潔さが古来好かれている原因だと思うね。島国なんだから、世界中を相手しなくてもいい民族だったから、これでもよかったのだと思うね

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織田信長合戦全録その2

先日もこの本について書いたけど、まだまだ言い尽くせないので、今日も少し書いてみます。

この本の「信長の合戦」の章は、200ページちょっとで、簡潔に纏まっているので繰り返し読むことが出来るのが嬉しいね。ある程度のスピードで通し読みすると、信長の判断がいかに迅速で正しかったのがよく分かるからね。

すると、この人が徹底的な合理主義者で、義理人情というものよりも、実力第一と考えて人材も起用しているのも実感できるね。過去に裏切った奴でも、身分の低い奴でも、昨日までの敵だった奴も使いどころがあると認めると起用するのに躊躇いはないみたいだね。

世の中に信長好きは多いだろうけど、真似できる人は皆無だろうね。

この本のなかで、史実を辿って考えてみると、信長にとって一番やばかったのは、姉川の戦いの後、信玄が攻めて来るかも知れないというところに、本願寺、比叡山、浅井、朝倉に取り囲まれた時期みたいだね。この時果敢に浅井、朝倉が信長を攻めていたら、信長は滅亡していたに違いないね。

この時、信玄が上京すると思って、攻撃に移らなかったのが、致命傷になり、信玄がその後急死すると、個別に撃破されていき、信長の勝利が確定するのだからね。

信長にとって、この時期はもう駄目だと思ったに違いないのだから、相手の失策が大きかったというところかな。

でも、ここで個人的に思うのだけど、運も実力のうちというけど、そうなのかな。

この信長という人物は、当時としては開明的な人物だと思うけど、自転車操業していくうちに大きくなった会社の社長さんという感じもするのだけどね

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織田信長合戦全録

織田信長合戦全録   谷口克広  中公新書30931943

この本は面白いよ。

信長が行った合戦を経緯と結果を述べた部分が、この新書の3分の2あるのだけど、この部分が自由に想像できて読み進めていけるので、楽しいね。それにこの本は、行間をいろいろ読めるし、簡潔に書かれているから全体像も捉えやすくなっているね。

最初の尾張での若き日の信長は、戦国時代という時代そのままで、ちょっとでも隙があれば、裏切る。もうこれは条件反射みたい。信義なんてものは、戦国時代にはなかったということがよく分かるね。

この本読めば、信長はよくここまで大きくなったなあというのを強く思ったね。ずっと危機だもんね。畿内では、本願寺始め様々な敵は存在するし、浅井、朝倉や武田信玄や、上杉だ毛利だ、あっちこっち敵だらけ、ようやるわ状態だね。

ここで思ったのは、天下取りで一番重要なのは、センスということだね。火急の問題でないのは、先送り、しかし必ずしなければいけない問題は電光石火。ここを少しでも間違えると、負けてしまうし、ちょっとでも状勢が不利になってくると、戦国時代という時代は容赦なく寝返るので、もう全滅という事態になったのだろうね。

浅井、朝倉なんか、信長を殲滅できるチャンスがあったのに、信玄頼みでチャンスを逃してしまった。他人がやってくれるなんてことを考えてしまったのが、結局滅亡することになったのだね。

信長ほど、色々書かれた人はいないので、いろいろな信長像があるけど、、天下取りの構想なんてものは、なかったのじゃないかな。もぐら叩きみたいに、あっちふさい で、こっちふさいでしている内に、次第に天下取りが現実的になっていったのではないかな。

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女王ゼノビアについて

迷走する帝国 ローマ人の物語12 塩野七生 新潮社31313095

ローマ帝国衰亡史 ギボン 村上勇三訳 岩波文庫

塩野先生のローマ人の物語もいよいよ今年で終わりだね。本当に15年も連載するなんて、快挙という言葉で捉えることができないくらい凄いことだね

本当は最新作「キリストの勝利」について書くべきなのだけど、まだ本買ってないのと、図書館で並んだのを読もうとか思っているので、すいません。だので、自分が買った第12作を論評します。

塩野先生の考え方では、ローマの滅亡の原因は、五賢帝のマルクス・アウレリアス、その前のアントニウス・ピウスまで遡って、考察されているね。

映画の「グラディエーター」などは、あからさまにマルクスの息子のコンモドッスに原因があるとしているね。ギボンは、初代皇帝アウグトゥスが近衛軍団を首都ローマに駐屯させたのが原因だ。とか言っているね

まあ。ローマは制度疲弊で序序に駄目になっていくから、塩野さんの説明が一番説得力がある気がするね。

ローマの社会に内在する危機が大きくなり、更に異民族の度重なる侵攻に、上手く対処できなくなっていく過程を捉えたのが、この「迷走する帝国」で描かれた3世紀の出来事だね。正直ここでローマは滅亡したほうが、人類のその後の歴史にとって良かったのだはないかな。ローマ帝国滅亡後(ここでは西ローマ帝国のこと,476年滅亡)、暗黒の1000年があるのだからね。もっと潔く滅亡していたら、そんなに長い間停滞しないですんだかもね

260年ローマ帝国皇帝がササン朝ペルシャとの戦いの中で捕らえられ、空前の危機を迎える。その間隙をついて、オリエントで女王ゼノビアが独立国家を宣言し、ガリアでも元老院議員テトリクスが独立。ローマ帝国は3分割し、にっちもさっちもいかない状況となる。

もう駄目だ。というところで救世主が現れる。皇帝アウレリアヌス。速攻のアウレリアヌス。なんて鮮やかにこの危機を解決して、ローマ帝国の再統一を成し遂げる。

ここで、本題 女王ゼノビアのことだね

塩野先生の本では、ゼノビアは否定的に描かれているね。塩野先生は、クレオパトラに対しても否定的な意見だったね。女性が政治に口出すとろくでもないことになるみたいなニュアンスだけど、ローマ帝国衰亡史のギボンは逆に肯定的な人物になっているね。

どちらが実像かは、解釈のし方によって違うけど、どうなのだろうね。

勝った方 が歴史を自分の都合の良いように書いていくのだから、負けたゼノビアはよく書かれないのは当たり前過ぎるような気がするけど。まあ、戦をした相手も悪かったね。相手は希代の英雄だったからね。

ローマ帝国については、この後も思いついたことをつらつら書いていきたいなあ。と思っています。

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蒟蒻問題

明治維新が成功した原因は、日本人は当時の人々、坂本竜馬、西郷隆盛などの英雄が、西洋列強の実力を正確に判断して、国が一致して、富国強兵に取り組んだ結果として、西洋列強の植民地支配から逃れることができたと考えているいますね。

一方、中国、韓国の人たちは、そのように考えておらず。ただ、中国という大国が、日本の隣りにあって、西洋列強がそちらに力を向けたためと、日本みたいなちっぽけな島国など、西洋列強にとって魅力がなかったから、植民地支配から逃れることができとのだと大多数が考えているようです。

まあ、どちらの要因もあったと考えるのが、歴史的に正しい捉え方だと考えるのが正解じゃないでしょうかね。

日本人は地政学的に幸運だった状況をもっと認識するべきでしょうし、中国、韓国人の人たちは、自分たちの先祖が、当時西洋列強の実力を正確に分からなかった不明をもっと反省するべきでしょうね。それが、正しい歴史認識と思いますよ。

歴史問題というのは、歴史は考える問題ではなく、政治問題化しているのが、ややこくしているのでしょうね。

そんな歴史問題など、100年後の歴史家に任せればいい問題だと思いますね。現代社会は、他にもっと希求に取り組むべき問題が沢山ありますしね。こんな蒟蒻問題ばかり言及する指導者は、ある意味無責任な指導者じゃないでしょうかね。

このブログは、歴史についてはこれからも扱いたいけど、歴史問題は余り扱いたくないね。

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鄭和後編について

昨日書いたことで、もうないと思ったけど、今日も少し書きます。

これは、中国のプロパガンダ番組だね。やっぱり。中国人が喜望峰まで到達した可能性は多いにあるけど、その後アメリカ大陸まで行ったというのは、ちょっとねえ。どこぞの大学教授に可能性がないとは言えないと言わせたら、真面目に今の中国人は勝手にそれが事実だと強弁するようになるのでは、こんなのはある意味「とんでも意見」で、笑い話なんだけど。

鄭和の艦隊にきりんを運ぶのに苦労したことや、アフリカで鄭和艦隊の中国人の血を引いている子孫をわざわざ見つけて留学させたり、ドバイで働く中国の若者を出したり、中身がないのを水増ししたのがバレバレじゃないか。

その一方、バスコ・ダ・ガマの航海以後の西洋人の海洋進出は侵略の歴史と決めつけ(日本人としてもそう思うけど)、もし鄭和の航海以後も中国人が継続して海洋進出していたらなら、アフリカ、アジアはきっと植民地になどなっていないと言っていた。

ふーん自分たちの都合が良いことばかりよく言うよねえ。反論はいくらでもできるけど、今の中国人は本当にこう考えているのだなあと、改めて分かったことがこのドラマをみた収穫かな。

中国が、中国国内でウイグル、チベット地区の弾圧、日本との東シナガス田問題、他にもいくらでも、東アジアの秩序を乱す行動をとっているのが分かるのだけどねえ。そんなことを報道せずに、今の中国に都合のいいことばかりを国民に報道している国家が中国なんだろうねえ。

物事は光と影があり、都合のいいことばかりとりあげても底の浅いものになるという証拠みたいな番組だね。

鄭和の航海記が何故焼かれてしまったのかは、このドラマでは官僚たちが余りにも金がかかるので止めたとのと、鄭和が宦官だったのとイスラム教徒だったというのに軽く触れて、一番悪いのは硬直した官僚だみたいに言っていたね。

しかし、鄭和の遠征は確かに平和的な遠征だったとも言えるけど、だだの永楽帝の道楽に過ぎないとも言えるねえ。後付けでいろいろ意味をつけても、過大評価しすぎになるのでは、

中国人はこんな鄭和の遠征よりも永楽帝が行った粛正の意味を今日的な意味で考えるべきだと思うよ。西洋ではルネサンスの時代に、方孝儒をはじめとする有為の人材を大量に殺してしまったことを反省したほうがいいよ。都合が悪くなったら安易に殺してしまえというのはその後の中国史に暗い影を落としたことを

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平知盛

今回は知盛と義経の違いについてと、この中世の人たちの世界観について書いてみたいと思います。

義経が何故あそこまで追いつめられたのかは、直接的には梶原景時を多くの兵士の面前で痛罵したことで、この後恨みを買い頼朝の讒言されたことであるが、それよりも重要だと考えるのは自分の運命に対し無自覚であったことだと思う。当時は貴族の世から武士の世へと凄まじい価値観の変動があったわけで、高い地位のものから庶民まで、人間の力でどうしようもない運命というものに対する自覚があったように思うのね。

義経は戦争の達人だったが、その驕慢さには無自覚だった。このことが平家物話の背景に現れる世界観では没落せざる得ないのだろうね。平清盛、源義仲と同じ世界観で運命に翻弄されて衰えていくしね。

でも間違ってはいけないのは、だから人間的に魅力があったのだと、壇ノ浦の合戦後上手に立ち回って、どこぞやの守護に頼朝に命ぜられた義経ならば世代を越えたヒーローにならないしね。

一方平知盛は、どうしようもない運命の力を自覚した人だった。一の谷の合戦のとき我が子が身代わりになり脱出できたとき、正直に自分の命は惜しいものだなあ。人は自分のことを卑怯者だとみるだろうなあ、恥ずかしいことだ。などと、全然武士らしくないことを言い。

壇ノ浦では、いかに勇士でも運命が尽きれば力及ばないが、この期におよんで命を惜しむな、味方ども。なんて言って自分も勇敢に戦い。敗戦が決定的になると、船の中の女房に戦の状況を聞かれたとき、からから笑ってもうすぐ東男が見られるよ。などとのたまい。最後まで奮闘する教経に向かい雑兵など相手にしても意味ないだろ、などとたきつけ(、この後猛然と教経は義経目指して突進する。ここが有名な八艘飛びの場面、)そのような平家一門の行く末を見届けると、見るべきものは見た今は自害しよう。と言って海に飛び込んだのが最後だった。

この散歩するかのような軽やかな最後の場面はなんだと思う人もいるかも知れないけどけど、ここには運命に翻弄されながらも人間的に悩み苦しんだ末の真の勇者の姿を感じたのは、古来多かったのではないか。

力が強い。勇敢だというだけでは、勇者とは言えない。悩み苦しみ運命に抗しながらもその運命を自覚し受け入れる。その姿は美しい。こういったことをこの平家物語は教えてくれている気がするね。

平家物語は魅力的人物がてんこ盛りなので繰り返しよんでも楽しいし、教えられることの多い本だね。それに、なんか物凄く日本的な話だし、どこがいいのかを考えることが、同時に日本の良さを考えることにもつながるしね。

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大河ドラマ義経について

漸く、去年の大河ドラマについて書こうと思います。このドラマはタッキーが義経にぴったりで、松平健の弁慶もよくなかなか楽しませてもらった。ただ、義経を完全な人間と描こうとしてかえって意味不明な人になってしまったのは残念。光の部分のみ当ててもその人物像は必ずしも魅力的にはならないよということだね。平家物語の義経はかなり生意気な人物として描かれているし、最後あそこまで追いつめられたのか説得力がある説明になっているよ。このドラマでやっぱり一番良かったのは、勧進帳の場面だね。松平健の弁慶は鮮やかだったねえ。昔から歌舞伎とかで取り上げられている場面がいいになら、斉藤実盛最後や平敦盛の最後などもとりあげればよかったと思うよ。

手塚治虫の火の鳥の乱世編はアニメ化したとき外されたけど、これも義経を悪人として描いたからかなあ。

本当は、自分が好きな平家物話の登場人物は平知盛なので、この人について書きたかったのですが、大河ドラマでは阿部寛が演じていたけど、地味で出番がなかったねえ。

また、こんどこの平知盛について書きたいとおもいます。もう眠いので寝ます。

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銭屋五兵衛その2

こんなマイナーな誰も知られていない人を取り上げて、どういう人だったかだけ書いて、自分がどうこの人を思っているか書かなかったねえ。

後10年ちょっとで、もう明治なので、そうすれば原始的蓄積ができて金沢が日本の一中心地になる可能性があったのに、藩の財政の2,3年くらいの収入という目先の現金をとって将来の発展を捨ててしまったというのは、石川県の人たちには残念なことだっただろうねえ。明治維新でも加賀藩はなんら貢献しなかったし、頭の固い人が当時多かったのだろうねえ。

高田屋嘉兵衛にしても、銭屋五兵衛にしても商人が目立つと直ぐ叩くというのは、ある意味、侍の社会が陰険だったということだろうねえ。そんなことが分かっていれば、三井高利みたいに大名とのつきあいはほどほどにし、目立つのを諫める商いのやり方が頭のいいやりかたなんだろうねえ。

まあ、高田屋も銭屋も大胆に密貿易をしていたし、薩摩藩なんて藩全体が影で奨励して回天資金を捻出したんだから、もう19世紀半ばという時代は、国境というのはあってもなきがごとくだったんだろうねえ。幕府も世界の状況が変化しているのは、中枢では理解していたみたいだから、いかに武士の世を変えていく準備を考えていた時期だったんだね。

それに結構、民衆レベルでも日本の外の世界は分かっている人はいたということなんだろうねえ。

日本が今の日本になったというのが、自分の興味あるテーマだから、その点銭屋五兵衛は興味深い人物だね。

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読書メモとして

日本の文化  村上康彦  岩波ジュニア新書

第1章 神と仏

・標縄=「しめ」とは、「しめる」、「占有している」  標縄がめぐらせている不可侵の聖なる樹木である。

・自然、森羅万象に霊力の存在を信じる観念=「アニミズム」

・海柘榴市は市の一隅に椿の樹がたっていたから  樹木は霊性を持つものとされ、神霊のよりつく「依代」とされていた。市は「聖なる空間」とされ、物質の交換が行われるのにふさわしい場所とする。=ハレの場

・人間が抱く自然への思いを投影したのが神であり、神と人間が自然と向き合うなかで生まれたものであり、人間が創り出したものであることを物語っています。神とは、人間が原始蒙昧の段階を脱却する過程につくられた人智の進化の指標であり、その意味で、神々が人間世界に登場しはじめた時が、文化の誕生する瞬間だった。

・神階を授けるとは、政府が中央・地方の神々に位階を授け、その神社を官社として扱ったことをいいます。=人間が神に位を授けるというところに、日本人の神観念の特質ー神は畏怖すべき超越的な存在だか、同時に人間あっての神であり、人間とともにあるーがうかがえると思う。

・自然そのものが神であり、森羅万象に神性を認めるというのは、神には本来すがた・かたちはあるようで、じつはなかったということ。

・仏教は偶像崇拝だが、自然崇拝は対象はモノのなかに宿る霊性であり形がないものである。神像が作られたのは仏教の影響

・神仏習合ー仏教側から見れば、古くから存在した神信仰を無視することはできないとして、両者の接点を探る動きがあらわれたものです。習合=異なった要素の調和・融合といっても、結局は仏教を本にした理屈が考え出したもの

・神宮寺=奈良時代、神々が苦痛を訴え、仏に助けを求めている、といった話が語られるなかで、神社の内外に寺を建てる動きが出てくる。

・本地垂述説=「神とは、じつは仏が衆生を教化するために仮りに現れた姿である。」神は仏の垂述(あとをたれる、かりにあらわれる)というわけ。

日本の宗教意識の特徴は、典型的な多神教 これは、日本人は善く言えば価値観の多様性を認める自由な精神の持ち主であり、悪く言えば思想性のない現世主義者

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銭屋五兵衛

日本史探訪14江戸期の芸術と豪商 角川書店編  角川文庫

この中の銭屋五兵衛について書いてみようと思います。

江戸期の豪商の話は、自分にとっては面白いテーマなんですが、一般受けはあまりないみたいですね。この人より、司馬遼太郎先生の「菜の花の沖」の高田屋嘉兵衛の方が有名ですね。ただ、この本は、後半ロシア船に浚われたとき以後のことは、ロシア人のゴロウニンの「日本幽囚記」の引き写しではないのかなあ。それにわざわざ大部の本にするより半分くらいにして簡潔に書いた方がよかったのではないかな。すいません、司馬先生ファンの人ご免なさい。銭屋五兵衛についての本も南原幹雄先生の「銭五の海」という本があるけどこれも、実像はこうなのかなあと首肯せざるものがあるなあ。残っている状況証拠だけだけでは、ただの快男児という風に描くのはどうかなあ。

そこで、この興味深い人物を簡潔に知るてがかりになる本として、かなり以前に、今NHKで放映している「その時歴史は動い」たの先祖みたいな番組を本に纏めたものが分かり易いと思う。このシリーズは古代から近代まで幅広く歴史事件、人物を扱っていて興味深い読めるしねえ。ただ、出ている出演者の質によって、玉石混淆だけど。

この銭屋五兵衛のときの出演者は城山三郎先生

1852(嘉永五年)加賀、今の石川県の河北潟で大量の魚が死に、銭屋が毒を入れたとの噂が広まり、加賀藩はこの河北潟の干拓の工事を請け負っていた銭屋の大量検挙に踏み切り、銭屋の財産を没収した。このときの没収した金額は300万両にも上った。五兵衛は牢死、息子は磔、徹底的に弾圧されてしまった。

  五兵衛は1773年(安永二年)両替商の家に生まれた、17歳で家業をついだが、実権は父が握っており、父が亡くなった39歳まで実権を持たなかった。

しかしこの40歳以後慎重に家業をステップ・バイ・ステップさせて堅実に大きくしていく。54歳のときついに、当時脚光を浴びていた海運業に乗り出す。商いが巧みな五兵衛は、68歳のときついに、藩の御用船の管理任されるようになる。この加賀藩100万石の旗印がものをいって大きく事業が伸びた。

五兵衛のきわめて質素で、茶をたしなみ俳句、和歌を作るのが楽しみな人だったいう。浮いた噂もない人だったが、反面、他の商人の領分にどんどん入り込む、銭屋だけ儲かればよいという考え方をする人だったらしい。

河北潟の干拓も地元の人々がどうのこうのなどということは考えない。一番安く工事するためにはどうしたらよいかを考え、地元の人を使わず、安い出稼ぎ労働者を使った。これが、河北潟に銭五が毒を入れたという風聞が広まった原因となった。

それと銭五失脚の原因は、懇意にしていた藩の重臣奥村栄実事件発生のが数年前に死んでしまっていたこも上げられる。

奥村時代の加賀藩の考え方は、銭五に儲けさせるが、銭五からも御用金を取るという考え方だったが、奥村の政敵黒羽織党の考え方は、銭五みたいな奴は排除して、民百姓があまり苦しまないようにして、銭五のやっていた商いを直接藩がやればよいというものだった。

五兵衛は、黒羽織党の台頭に危機感を強め、商業で儲けるだけでなく農業資本家としてやって行こうと思いたったのが、河北潟干拓だった。

銭屋は隠れて幅広く密貿易をしていた。このことを知った黒羽織党が銭五の処分を急いだのだと思われるが、当時中央政治の中枢にいた勝海舟は密貿易など幕府は分かったいたが見逃していたからだと見ていた。そのような中央政治の流れを加賀藩も五兵衛も分かっていなかった。

政治の世界では、いったん政商として政治にかかわり合ったら、毒を食らわば皿までで、徹底的に政治と心中するくらいの気持でやっていかなくてはいけなかった。五兵衛は、ある意味で、中腰であり、逃げ腰であった。そう言う点が、三井・三菱といった政商との違いだった。

以上、このように内容だけど、江戸時代の話でなく、現代の話みたいだね。いろいろな面で、考えさせることの多い話題だね。

本日8回目の更新新記録だね。

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アヘン戦争よりも

明の永楽帝時代の鄭和の南海遠征は、快挙だったけど、鄭和自身が宦官であったということで、その記録、航海技術が後世に伝えられなかったことは、東洋人の世界進出が遅れた一つの原因だと思うが、永楽帝が余りにも前皇帝の有能な臣下を殺し過ぎたのが、この結果をもたらしたのだと、言えるなら、この靖難の変の影響はやはり大きいと思う。

明時代になれば、おそらく中国では、今の人と考え方は変わらないのと違うのか、日本人は、一つ一つそれぞれの時代が層ができるように、積み重なっていった国民と思うが、中国人は、いつの時代からか、ひねくれていったのではないか、そうでなけでば、宋時代の王安石と司馬光の新法、旧法論争、春秋時代の諸子百家など、世界史上でも高度な政治論争があった民族が、後世になるに従ってみすぼらしくなるのは、屈折があると考えるのがいいのでは、

アヘン戦争等の西洋列強、および日本の帝国主義化の侵略により、著しく近代化が遅れたと言うのが、一般的な意見だと思うが、そんなものなくても、今とそんなに中国は、変わらないのでは、というのが自分の意見です。

第二次世界大戦ご、中国政府は、国家建設を行うために、鉄の生産を傾斜的に人的にも資源も注入したけど、生産量は増えたが質は、全く上がらず、結果的に日本の協力を必要としたように、何かが問題があると言うことだと思う

やはり、精神的なことに、その問題の解答を求める方が、すっきりするのではないか、列強等の外部勢力にその問題を求めるのは、ある種の逃避ではないか。

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昨日の続き

自分が中国の歴史上、最も重要な事件は、この靖難の変と永嘉の乱(316)、かなり特殊な考え方だけど、この二つの事件がなければ、中国史は、もっと明るいものになったに違いない。靖難の変に注目した、幸田露伴は流石に鋭いし、田中芳樹の問題意識もなかなかだ。建文帝の軟弱さが、この事件を招き、方孝儒の頑なさが、その後の儒教のみならず、中国精神世界の崩壊を引き起こしてしまった。

明の始祖である、太祖が自分の子孫の永遠の繁栄を願い、儒教による輝かしい統治をするはずのものが、このような大規模な血の粛清に終わってしまうのは、言葉で言い尽くすことができないような悲劇だし、後世、本当に明の朱家の為に忠誠を尽くすものが、ほとんどいなくなったのみならず、現代に至る中国人の精神に暗い影を落とし、至誠というものが、ただ言葉だけになってしまったのでないか、一生懸命するよりも、上手くたちまわったほうがいいと、利己主義が跋扈するようにもなったのでは、

それに比べ、徳川家康も我が一族の永遠の繁栄を望んだのは一緒だが、やり方が、どこか温いし、お家取りつぶしといっても、命まではとらないし、処分もどこか緩やか、これは、やはり国民性だと思う。

中国の訓古学よりも、荻生そらいの漢学のほうが、どこかほのぼのしているはずだ。日本人は、そんなに正しさにこだわらない民族なのでは、

この靖難の変、永嘉の乱は、この後もいろいろ考えていきたい。

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日本史上の重要人物

 自分が、日本史の中で重要だと勝手に考えているのは、

藤原不比等 豊臣秀吉 徳川吉宗

まあ浅い知識と自分のフィーリングに合う人なので、万人がいれば万人とも異議を唱えるのではないか、

それぞれの理由は、

藤原不比等は、まずその後に現れた奈良時代、平安時代に現れた、その子孫たちは、全て、不比等の小型版で、日本の歴史上、本当に日本的なものが生み出されていった、平安時代に藤原氏の影響は絶大で、不比等の考え方は、日本人の指導者たちに反映されていると、考えるからだ、文化的な面も見過ごすこともできないと思う。

豊臣秀吉は、まず下賤な身分から最高権力者にのし上がったということは、その後の日本人の精神世界を明るいものにし、風穴を開けたということが大きいと思うからだ

徳川吉宗は、この人がいなければ、地方にそれぞれの殖産化していくことができないと思っているからだ、それぞれの地方の名産品も、それぞれの藩が努力して作ったものであり、その動機付けは重要と考えるのが、その理由

今の日本がどうして近隣の中国や韓国と違っているのかを、自分なりに考えた人選だか、本当は、もっと重要な人物がいるのかも知れませんねえ

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