チャンバラ時代劇講座④

第四講 東映チャンバラ映画スターと中村錦之助

チャンバラ映画は、戦前に全てやり尽くされていたが、そのやり尽くしたあとも、観客はチャンバラ映画を求めた

チャンバラ映画に関する常識というものが、すべての人にいきわたる

そしてその常識というものは、きちんと説明しようとすれば煩雑になる以外になりようがない知識教養のこと

そして、生きた常識のことを、一般にはスターという名前でよぶことが出来る。

東映時代劇では、理性は精神を暗くするという考え方で、悪人というものは、長い間いきているうちに、現実を知ってしまって物事を考えるようになってしまった人間

一方、善人は、物事を考えない。みんな幸福

なにも考えないで生きていることが、一番幸福。幸福でいられる最大の理由は、若かったから

戦後は、決定的に新しい時代で、その若さには可能性が与えられた。

善が若さで、悪が年をとる

というのがこの時代の普遍的な思想だった。

その若さ輝くほんとうのスター 中村錦之助が登場した

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チャンバラ時代劇講座③

第三講 チャンバラ映画におけるリアリズムの歴史

ここの講義は要約しにくいところだね。よく分からないと思った人は、橋本さんの本を読んでね

映画はリアリズムの芸術であり、芸術では、リアリズムは人間の真実というものをつかまえるためにより卑俗なほうへ入っていくが、大衆芸能では、リアリズムは違ってくる、これを説明するのがこの第3講の内容

大衆芸能のリアリズムには、四段階あってそれは、

第一段階、最初は、何だかよく分からないけれども、華やかなものに接し、夢見心地の段階

第二段階、夢と現実というのは、なんとか一つにならないのだろうかと考えるところ。そして、夢の中の具体的になりそうな部分を方っ端から現実化してしまうところ。リアリズムのはじまり

第三段階、夢が現実になるが、自分のまわりのみすぼらしさが返って、目についてしまうところ

第四段階、夢の完成。いっそうのこと、全部一緒にしてしまう。現実感覚に裏打ちされた、現実感のある荒唐無稽に向かう

なにを言ってるのか、さっぱり分からないね。つまりね、時代が経つにつれて、娯楽の数が増えていく、その中では、夢を作り直す作業が繰り返されるのだけれども、完成されたものは、様式的になる。その様式がどんどん時代が経つにつれていい加減になってくるということ

能から歌舞伎、そして映画というようににね

その中で大衆は勝手にいろんな夢を見る。

大衆化は、観客も見せる側に移る。素人の芸能人化。境界がなくなっていくということだね

それは、また芸能の細分化を生むろいうことらしい

歌舞伎に対する、大衆演劇、それは、笑いの部分は、新喜劇。立ち回りが、新国劇。涙の部分は、新派。踊りの部分は、レビュー(少女歌劇)というように

そしてチャンバラもその部分だけで、独立することができた。

チャンバラを見せるためにドラマを入れるのが、チャンバラ映画。チャンバラに徹することにより、チャンバラにはすべてがあるというところまで、チャンバラ映画は進化していくことになるらしい

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主水のいる光景

チャンバラ講座に書いていることだけど、旗本退屈男の早乙女主水之介についてのことが面白かったね

主水という名前は、蔵人と並んで、伝統的に知恵者の名前であって、30代中頃から40代後半まで、世間に通暁している思慮深く人格高潔であるということ名前らしい。

華やかで色気がありながらも男盛りで思慮深いという、わかったようでわからないイメージがあるらしい

そういえば、必殺仕事人の婿殿の中村主水もそうだったね

ええっと、この旗本退屈男には、彼のそばに霧島京弥という美少年の小姓がいて、これは少年なるものに対する父という性格が御大、市川右太衛門扮するところの退屈男にある

また、側用人が、老人でありながら気が弱くおちょこちょいの家来がいて、これは、名もなく力も弱い庶民に対する庇護者としての側面を表しているらしい

更に、正体不明の妖艶なる年増女がいて、「ちょっとお殿様」としなだれかかります。これが、体制人間直参旗本のアナーキーなる部分の象徴であるということ

こういうふうにみてくると、これなんかをプロトタイプとすると、ルパン三世のふじ子ちゃんなんかは、この年増女に当たるのか

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チャンバラ時代劇講座②

第二講 東映チャンバラ映画の基本パターンの研究

これは、前半は、主人公の話、後半は悪役の話になている

まず、主人公の話から

主人公であるヒーローはまず独身でなければいけない

理由は、1、独身だと女にもてる

     2、独身者だと清潔感がある

ただ、日本の大衆もストイックではなく、濡れ場が好き。だけど、これを男臭い人間がやると、かえって色気はなくなる

濡れ場というのは、女だか男だかわからないという特殊技能を持った男性にしてはじめて可能となる

時代劇ヒーローは、気っぷがよい、さっぱりしている、竹を割ったように真っ直ぐだけど、濡れ場といういうことはないけれど、女っ気がなくなったらチャンバラ映画は殺伐となってしまうらしい

ここから、2文抜き出し

・衣装、化粧、色気、そうしたものをひっくるめてなおかつ男性的。日本のチャンバラスターたちは、ある種の女方的ニュアンスを保っていなければなりません

・いかにも人を斬っているようにみせるリアリズムの裏打ちがなければなりませんが、それと同時に、そのすべてを美しくみせて破目をはずさない様式という女性的な枷が必要

次ぎに、悪役のところでは、ここも抜き出し

・一般国民は、自分たちは平穏無事に暮らしているくせに、世の中のどっかでは天下がひっくり返りかねない大事件が持ち上がって、それが自分たちに影響を及ぼす一歩手前で、見事に何事もなくおさまるという、スリリングを味わいたいという欲望を持っている

・悪家老が、私利私欲のために国をのっとろうとするのを、正義の味方が倒すというパターンがある

・ものを考えているから悪人になります。こういう悪人を退治するには、派手さで圧倒するべきであるというのが、東映時代劇の根本思想であり、美学である

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チャンバラ時代劇講座①

映画たちよ  橋本治  河出書房新社

橋本治さんの「完本チャンバラ時代劇講座」なる本を探していたのですが、絶版になっているし、古本屋でも見つからず諦めていあtのですが、インターネットをはじめてから取り寄せができることになったのだけど、もう余り欲しいという熱はなくなったし、値段も高価だったのでもう読まなくてもいいやと思っていたところ

前日ブックオフの100円コーナーに、この「映画たちよ」のなかに、チャンバラ時代劇講座の一章が書かれているのを発見して買ってきた

そのチャンバラ時代劇講座を、要約感想を書いていきたいと思います。4回分ありますので、4日で終わる予定?

第一講 チャンバラ映画とはいかなるものか?

橋本治さんは天才だから、書いていることが、鋭すぎてついていけない部分もあるし、橋本さんの若い自分の著作だから、ちょっと変と感じるところも、紋切り型だなあと思う部分もあるけど、やはり面白い著作だというのは、事実だね

ここでは、チャンバラとは、何か? という疑問がまず提示されているね。それは、殺陣、立ち回りとのことだと述べているね

チャンバラ映画は、いくら金をかけても、大型娯楽時代劇にしかならない。芸術映画にはならない

そして、馬にのらないチャンバラをする映画、活劇であるのだけど戦争とは関係のない殺し合いの映画ということになる

だから、剣豪と相性がよくなる。ただ、鉄砲は卑怯な道具で、悪家老などが、おもむろに鉄砲を取り出して、ヒーローにバッバンとすると、普通はやられてしまうぼだけど、やられない。そういう世界がチャンバラ映画

強いのだれど、性格的には暗い宮本武蔵は、過渡期のジレンマにこだわりすぎた人間で、大衆の支持を受ける部分もあるが、結局は見捨てられる存在となる、このような剣豪は、「強くなければならない」という、乱世の空気があり、武蔵の挫折は、「強いものは和を乱す」という安定の空気が妨げたから。

要は、チャンバラ映画は、チャンバラを見せるための映画だということ

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