長岡遷都

平安建都   滝浪貞子   集英社18492264_1

歴史シリーズあれこれと書いたところで、書いていたけど、この滝浪先生の本は、面白いよ。新しい所見がばしばし述べられているしね。今から15年前の出版だから、少し古くなったかもしれないけど、まだまだ十分よく纏まっていると思うね。滝浪先生は、最近話題の女性天皇のことを、新書でも述べているね。あちらもバランスのとれた本だろうけど、ここでは、この平安建都に沿って、スロー読書を不定期に読んでいきたいと思います。

平安時代を述べるにあたって、それ以前のことは、この本では記述はないのだけど、弓削道鏡の事件を語らなくてはいけないだろうね。里中満智子さんのマンガ「女帝の手記」を読むと分かり易いし、面白くていいのだけど、簡単に述べると帝位が簒奪されかけたのだね。

この簒奪が成功していたら、天皇家が断絶していた事態になっていたという空前絶後の事件があった後、そして、女性天皇の称徳天皇没後、天皇になるに相応しいと誰もが納得できる人物がいなかった。それで、もう62歳にもなっていた光仁天皇が即位した。

いろんな派閥、家が妥協を重ねた末の即位だったのだけど、ここではまだ、天武系の天皇を立てるという名目はあったのだけど、(壬申の乱のとき大海人皇子が天武天皇なので、奈良時代は天武系が立っていた。)天智天皇の孫である光仁天皇は、天皇の血統が天武から天智へと替わる事態が出現させることになったのだね。

そして、この本「平安建都」は、光仁天皇の後帝位についた桓武天皇が、平城京から長岡京へと、都を移すところから、記述がはじまるのだね

781年帝位についた桓武天皇は、45歳で天皇になった。当時の平均寿命を越えていたので、超がつくほどのおじんの天皇の誕生だね

この桓武が天皇になる前、光仁天皇の皇后の井上内親王との間に他戸親王がいて、この人は、聖武天皇の孫(井上内親王が聖武天皇の娘で、称徳天皇異母妹)にあたり、この人を将来天皇にするということで、光仁天皇は取り敢えず天皇になれたのだけど、

ここで、藤原一族得意の謀略で、772年に他戸親王、井上内親王は、廃せられることになる。

ここで、桓武天皇が皇太子になった。この人の母が、百済からの帰化人の家の出だったのだね。これは、4年前のワールドカップの時、天皇のゆかり発言で韓国で話題になったことだね。別に隠していたわけでなく堂々と続日本記に記述されているので、どうっということないことだね

桓武が天皇になった時、弟の早良親王が皇太弟になった。

784年長岡に都を移すということになり、

この章で面白かったことは、2点

一つは、このとき、あの道鏡事件で活躍、戦前は紙幣にもなった和気清麻呂が、黒斑の蝦蟇2万匹が、難波の市から四天王寺に行ったという報告をしたらしい。

遷都せねばならない前兆なのかな

もう一つは、平城京が大仏鋳造などで、公害があり、水の便も悪かったこともあり、水便もいい長岡に移そうということになったのではないかということだね。

大和川水系の難波京、平城京から、淀川水系の長岡京へと

日本史の講義みたいな記事になったね。続きをするのかどうかは、未定だね、これはね

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