悪人について

今日のチャンバラ講座で、悪人が知的でものを考える人だという指摘があったね、これは、自分が考えていた悪人のイメージとピッタリだね

以前「ちくま哲学の森」の悪の哲学について、言及しようとしたけれど、難しすぎたので挫折したのだけど、この同じ哲学の森の「定義集」の悪人の言葉での抜き出し、感想は出来そうな気がしたので、やってみようと思います

まず淀川長治さんのことば

僕も、子供の頃から人前でしゃべるの嫌いで、下手で、辛かったの。それがいつの間にかしゃべれるようになって、いまはむしろおしゃべりなほうになりましたけど、でも、しゃべれる人というのは悪人だね。いま、しゃべる人はカッコいいことばっかりしゃべってて、本当のことは、なかなかしゃべらない。僕、舞台で演説する人、講演する人、嫌いね。みんなウソ八百、自分の心にないことばっかりしゃべるから

これは、巧言令色少なし仁ということなのかな。このしゃべれる人が悪人ということなら、アナウンサーなんて極悪人ということか、今から思うと淀川さんの話は、どういったことのない話が多かったね。良心の呵責に耐えかねて喋っていたのか?

菜根譚から

・バレるのをこわがるうちは、悪人もまだ善にかえれる。これ見よがしにするならば。善人ももう悪のはじまり。

劇場型犯罪を行う人間が一番悪人ということなのかな、宮部みゆきさんの「模倣犯」の犯人なんか、一番悪人なんだね

プリエネのピアス

たいていの人間は悪人である。

こういってしまうと議論のしようがないよね

花田清輝

本当の悪人は、なんのために悪事をはたらくのであろうか。むろん、なんのためでもない。かれは、悪事というものを、碁をかこむのと同じように心得ている。かれが。「黒」にまわったのは、単なる偶然にすぎない。しかし、いったん、「黒」の側にまわった以上、智能のかぎりをつくして、盤上から「白」を一掃しようとするのである

頭のいい人たちのとって、善も悪も差がないということかな。思い出すのは、光市の母子殺害事件の弁護人が、死刑廃止の主張を強弁するがため、訳の分からない理屈で、犯人に殺意がなかったという主張をしていたね。この弁護士なんか、この花田さんの言葉を辿ると、悪人なんだろうね

まだまだあるのだけど、また今度書こう

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湯の町エレジー

「悪い奴らの話」が終わったので、今度は「ちくま哲学の森」を読んでいくことにします。

湯の町エレジー  坂口安吾  昭和25年

安吾は伊豆に住んでいた。そこで旅館荒らしの泥棒が捕まった。彼の手口は、温泉旅館に芸者と泊まり込み、どてら(着物のようなもの)のまま、自分が泊まっている旅館と違う旅館に忍び込み、盗みを働くというもにであった。捕まった後、彼に対しておびただしい差し入れが届けられた。彼はそんなもの見向きもせずに、ハンストを開始した。ハンストで衰弱し、それによる保釈を狙っての行動だった。また差し入れが多いのは、彼は、芸者や旅館から金を借りており、それを返して貰う為の芸者らの行動だった。安吾は、感心し、温泉町は、普通の生活する町とは違っているのであって、鮮やかな手口の盗みはありだと思うのだった。

悪人度チェック

安吾は、手口は鮮やかと言うが、最後にドジをしたり、余り鮮やかに感じられないので、5くらいかな。

悪人の哲学考察

昭和25年、敗戦の傷まだなまなましく、温泉宿には。パイパンといった女たちや、闇市で成り上がった者たちがたむろしていた、今の清潔な日本とは全く違った世界の話だね。

だから、心のなかのムシャクシャが、鮮やかに思う手口の盗人に、快哉を叫びたい空気がある時代だったのだね。

最後に安吾のここでの文章を抜き出し

・人間は本来善悪の混血児であり、悪に対するブレーキと同時に、憧憬を持っているのだ。そして、憧憬のあらわれとして忍術を空想しても、おのずから限界を与えずにはいられない。

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