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大阪のつっこみの偉大さについて考えた

今回のテレビ宮崎の事故は、いろいろ考えさせられたわね。

どうして、ああいう事故になったのか、そして記録された動画が、どうしてあんなに怖いのか、とかとかね。

自分は大阪出身で、宮崎に移り住んでいる者なんだけど、そこでやっぱり違和感を覚えたのは、宮崎人ののりの悪さだね。

宮崎人は純朴で、自己主張は表だってはしない。(純朴なのは、宮崎人の美徳です。)なので、テレビとかでは、マイクを突きつけても、はっきりした答えなんかは、あまりしないわね。今回の事件も、アナウンサーたちが一人よがりに騒いでいたように、見た限りの動画では判明できた。

大阪とは、好対照だね。大阪では、頼まれもしないのに、テレビとかの収録では、素人が、入り込んで来る。

それに大阪では、朝から芸人たちが出ていて、放送終了後まで、ぼけ、つっこみの見本みたな番組を、毎日飽きもせずやっている。見たくなくても、見てしまう。まるで、ぼけ、突っ込み養成ギプスみたいだ、突っ込み人間を育成しているみたい。

なんで、大阪人は、そこまで、ぼけ、突っ込みばかりなんだ。といつも疑問に思っていた。大阪を離れると、他のところは、そんなにぼけ、突っ込みをそんなにしないのも分かった。すると、ばけ、突っ込みの有り難さも分かるようになったかも。

つまりですね。突っ込みには、場を和ませる力があるみたい。頭に血が上っている人や、ちょっと勘違いしている人を冷静にさせる力があるみたい。

今回のテレビ宮崎の事件でも、動画を見てみると、現地のおばちゃんやおっちゃんたちを、放っといて、アナウンサーたちが身内で盛り上がっていた。大阪出身の自分などからすると、突っ込みたくなった、あんたたちだけで盛り上がるなよ。と言いたくもなったわね。

もしそこに、加熱して身内で盛り上げる人たちに対し、突っ込みを入れる人がいれば、場が冷静になり、事故は回避できたのかも知れない。

そう考えると、場を和ませるという偉大な力が、実は突っ込みにはあったんだと、氷解してしまった。(大げさかも知れないですね。)

そう言えば、東京制作の番組でも大阪芸人たちが、どこぞに入り込んでいるのは、彼らには突っ込み力を駆使しての場を和ませる立場が与えられているのではないかな。

毒毒しい大阪芸人、密かに嫌われてもいる大阪芸人。でも、必要な存在だったんだ。

大阪は、今や工業力も衰え、最も不況に喘いでいるところですが、かっては東洋のマンテェスター(今時こんなこと言う人はいないかも)。繁栄した工業都市だった。

全国、主に西国から様々な人が流入したはずだ。荒くれ者も多かったに違いない。そういう荒くれたちの気持ちを和ませてやるのに、突っ込みというのがあったのではないかと自分は想像したりする。

都会というのは、ある意味無個性なものなんだけど。なんでか知らないけど、ぼけ、突っ込みとかは残った。

そう考えると、突っ込みというのは先人たちが残した偉大な力なんだと、勝手に想像したりした。

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