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父親のパソコンがやって来た

サッカーにおいては、監督の采配があれこれ言われ、批判的な記事が書かれることが多いね。

日本代表のワールドカップでの戦いでも、ジーコ監督の采配は、批判されていたね。

あのとき、実はこの選手を使うべきだ、ここでなんでこの選手の投入が遅れたのか、などなど。

まあ、説得力のあるものが多いのは確かだけど、予選リーグで、采配うんぬん、なんて言えるのかな。

昨日の、ドイツ対イタリア戦などは、監督の采配が、ゲームの勝敗を分けたポイントであったのは解るけどね

日本が、予選で戦ったのは、半年も前に決まっている相手で、あらかじめ決まった時間での試合なのだから、采配ミスなどあり得ないのではないかな。

それは、事前の相手の研究不足、選手の起用を間違って、ゲームプランそのものの不備だっただけじゃないのかな。まあ広義にはそれも含めての采配ミスでもあるのだが、

こういうところは、ちゃんと分けて置かないと、

後世に、日本代表が戦いの敗戦の原因は、監督の采配ミスで、監督が悪かったのだという、矮小された結論を得てしまうだろう。

なんで、こんなこと自分が書くかと言うのなら、

スポーツジャーナリスト、識者の記事に、采配ミスについて書いているものが多く。その致命的な采配ミスが予選敗退の原因と結論づけてしまうものが多いからだ。

影響力のない個人のブログで、印象記事を書いているのなら害はないと思うけど、多くの読者を抱え、影響力を持つと思われる人の安易な結論は、世論をミスリードするし、誤ったイメージを後世に伝えることになるのではないのかな

事前準備、選手選考も、監督の仕事で、そのことの不備の責任は問われるべきであるが、監督をサポートするサッカー協会、それを許したファン、日本国民の責任でもある。

どういうチームを作るのかは、監督が委託されたものだが、そのチェックは厳しくなければいけないよね。

だから、ジーコ監督の起用の是非も、功罪を含めて議論されるべきだし、次期監督の起用も広く議論されるべきだった、

それを川淵キャプテンが、ジーコ監督の起用の是非を問わず、勝手に次期監督を専断で決めてしまう。

このようなあり方は、問題にされるべきだと思う。日本サッカーは、正しい道を歩んでいけないのではないのかな と自分は危惧している。

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